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起業家・宮脇敬治・宮脇鋼管社長

商いは楽しむ心なり 〜常識破る鋼管加工サービスの躍進〜

4. 店はなかった

  昭和30年、宮脇は2次募集で法政大学工学部経営工学科金属材料コースに入学。初めて踏む東京の地で、大学生活をスタートする。大学時代の宮脇はほとんど勉強することなく、遊びに徹したようである。最初に下宿した親戚の家では同年代の明治大学の学生と意気投合し、昼に夜にと遊びほうける。1回生の終わりには親戚の家を出て、アパートに移り住むが、向かいのアパートに住んでいた1歳年上の女性と知り合い、同棲。この同棲は大学を卒業するまでの間続く。

 ところが遊興三昧の大学生活の反動か、大学卒業まじかになると、宮脇は一転して働くことへの意欲を湧き上がらせる。思い立ったらすぐ行動に移すのが宮脇。「これからは仕事だ」。そう決意を固めると、卒業を控えたある日、同棲していた彼女に別れを告げ、作業服を買って突然大阪に帰郷する。家業の建築金物店を継ぐのが目的だった。

母親と宮脇

 しかし、颯爽と帰郷した宮脇を待っていたのは商品さえないガランとした一軒の小さなバラック小屋ひとつだった。父親は大学に進学した宮脇が油まみれになって金物屋を継ぐとは思わず、すでに店を親戚に売り渡してしまっていたのだ。
 「これでは、なんのために大阪に帰ってきたのか分からない」。
 宮脇は途方に暮れた。
 ただ、幸いだったのは毎日、古鉄や非鉄金属をリヤカーに積んでくるバタヤの人たちが家に鉄を売りに来ていたことだ。思いもかけない現実に直面し、肩を落としていた宮脇もその光景を見て、頭を切り替える。
 「バラック小屋しか残っていないが、終戦直後に全くのゼロから商売を始めたオヤジよりはまだマシだ」。
 そう開き直ると、宮脇は翌日から商売を始めた。朝早く起き、バタヤの人たちが持ってきた古鉄を買い取り、泥や錆を落として製品にし、店先に並べる。勢い、事業への意欲を示すと、筋金入りの倹約家だった父親も事業資金として400万円もの大金を提供してくれた。とはいえ、宮脇は鉄の商売では右も左も分からない素人。そのため、新聞に出ている相場を参考にしながら古鉄の買取り値段を決め、売り値はお客さんに教えてもらいながら見よう見まねで商売をおぼえていく。

  宮脇、弱冠22歳。自らの強い意志と情熱だけがたよりの、ゼロからの船出であった。

 
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