出会いを創造する 〜結婚情報サービスが拓く結婚新時代〜
オーエムエムジー創業物語(大内豊春・潟Iーエムエムジー創業者)
5. 業界危機から新たな飛躍へ
結婚情報サービス業の草分けである OMMG が、名実ともに業界ナンバーワンの称号を不動のものにしていた頃、日本経済は徐々に「バブル崩壊」という苦難の下り坂を歩み始めようとしていた。そんな中で、業界でもこれまでとは違ったいくつかの異変が起きていた。
平成 2 年、一部の会社で会員との契約時に法定書面を発行していないことが判明し、会員数の虚偽宣伝なども含めた訪問販売法違反容疑で摘発される事件が起きたのだ。これを契機に、一部の会社の誇大広告やサービスのあいまいさに苦情が殺到。一時は、弁護士会による「結婚相談110番」が設置されるなど、業界の一部の不手際が社会問題にまで発展した。このため、同年 11 月には、業界の健全な発展のために、初の業界団体である「結婚情報サービス協議会」が設立されるに至った。
また、この頃から少子化問題が業界の成長に影を落とし、業界全体の市場規模は 90 年以降、現状維持の状態が長く続くことになる。当然、 OMMG も、この影響を免れなかった。売り上げ、会員数ともにピークに達した昭和 63 年以降、業績は頭打ちとなった。
このため、大内は、会員拡大策として、これまでのデータマッチングに加え、会員情報誌「イントロ G 」の発行や各種の会員向けイベント、著名人によるセミナー開催などの新機軸を次々に打ち立てていく。これらは後に、 OMMG における会員サービスの大きな柱へと成長する。
「イントロ G 」は、誌上での会員データ紹介を中心にして、会員間のコミュニケーション媒体として欠かせないものになるほか、全国で年間 2700 件もの回数を数える各種イベントは、データマッチングでは補いきれないフェイス・ツー・フェイスのマッチング的役割を果たすようになる。
厳しい時代を経て、OMMGの業容はさらなる進化を遂げるが、業績の大勢を変えるまでには至らなかった。それでも、誰よりも「結婚」について熟知し、なお事業意欲旺盛な大内は、まだまだ結婚情報サービスに大いなる希望を抱いていた。
「結婚情報サービス業は、今もって結婚を真剣に探す人の1〜2%しか開拓できていない。それに、この事業は会員数が多ければ多いほど有利。これからも、当社に加入して相手が見つからなければ、他社でも見つからないと言えるほどの会員数、情報量、そして信頼を勝ち取っていけばいい」。
小規模な結婚相談所や地域の縁談紹介が通例だった日本社会の中で、破竹の勢いで結婚情報サービス業を打ち立てた大内も、すでに 77 歳。時代は、新たな若い旗手の登場を待っていた。
平成7年の初め、阪神・淡路大震災が起きると、大内は被災建物の補修や被災会員の救済に忙殺されたが、その作業が一段落すると、同年5月、息子の邦春にその大いなるバトンを渡す。
それは、OMMGが新たなる飛躍を見る、第二の創業の始まりであった。 |