1. 危機を救った36枚の名刺
父親の会社で働いていた時、次男の吉田は工場で製造したメガネを販売するため、方々の問屋や小売業者を飛び回ることが多かった。しかし、まだモノが売れない時代、販売先を探すことは容易ではなかった。
昭和36年、清水眼鏡工業所には8000ダース、9万6000個のサングラスが在庫として溜まっていた。吉田は東京の業者まで足を運び、この在庫販売に奔走していた。が、ちょっとやそっとの努力でさばける数ではない。吉田は途方に暮れる。
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こまめに書かれた営業ノート |
そんな時、ある会社で初老の男性に声をかけられた。
「清水さん、今はなかなか売れんでしょう」。
吉田は「売れまへんな」と答えながらも、男の顔に見覚えがなかった。
「前もここに来られてましたな。今日で何回目ですか」。
「3度目です」。
そうやって何気ない雑談をしていると、男は「ちょっと、名刺を貸してみなさい」と言って、吉田の名刺の裏に紹介状を書き始めた。紹介状は、持ち合わせていた36枚の名刺全てに自筆で書き込まれた。
翌日、吉田が営業に回ると、その紹介状は驚くほどの威力を発揮した。行った先々で、それまで売れなかったのが嘘のように次々に商談が成立するのだ。ほどなくして8000ダースの在庫は売り切れた。逆に、生産が間に合わないほど注文が入ったため、昼になると事務所の電話を外さなければならないほどになった。吉田は親切に名刺に紹介状を書いてくれた男性に感謝した。
後日、その男性はメガネ小売業組合の理事長を務める井戸氏(株式会社井戸吉の社長)であることが分かった。井戸氏は終戦の混乱期に大阪を訪れた際、吉田の父親に一夜の宿を貸してもらったことを憶えており、息子の吉田にその恩返しをしたのだった。
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