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起業家・木村節三・KEC教育グループ理事長

ビジネス・リンキング 〜塾経営から拓く総合教育の道〜

2. 母譲りのメモ魔

 木村は昭和21年、松葉ガニの産地で有名な鳥取県境港市上道町で、5人兄弟の末っ子として生まれた。父親の賢は勤勉・実直を地でいくような人柄で、仕事一筋の国鉄マンだった。人一倍の努力で後に駅長級まで昇進するが、木村は夜遅く帰宅した父親が駅を通過する貨物列車を見送るため、深夜の3時に脱兎のごとく寝床を飛び出していく姿をよく覚えている。母親のまつ子は専業主婦。生涯、1度も職につくことがなかったが、少年時代の木村はこの母親の影響を強く受ける。兄弟5人の大家族で決して裕福ではなかったが、母親は木村を児童会館が催していた「社会見学ツアー」に参加させたり、当時はまだ高価だったスキー道具を買い与えるなどして、さまざまな体験をさせた。こうした母親の体験教育が、後の木村に情熱あふれる教育心を植えつけることになる。

 なかでも特筆すべきは、日常生活で感じ取ったことはすべて書き取らないと気がすまない母親のメモ癖を、木村がまねたことである。小さい頃から感じたことは何でも書きつける木村は、大学時代から「言葉のゴミ箱」と称して日常のメモを手帳につけはじめる。メモの内容は「人生」「教育」「政治」「経済」「社会」の各分野にわたっており、木村はこのメモを現在も「感応ノート」として書きつづけている。メモは日常の情報収集に役立つだけでなく、さらに各項目ごとに細かく区分、整理してファイルされ、自らの“知恵袋”として活用。蓄えられた知識は、木村を頼って訪れる人々を無条件で受け入れるふところの深さにも通じている。

 木村は言う。
「どんなことでも絶えず学ぼうとする母の姿勢は、幼い私に強い影響を与えた。私は知らず知らずのうちに“人生は学びの道のり”ということを母から教わっていた」。

   
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