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起業家・木村節三・KEC教育グループ理事長

ビジネス・リンキング 〜塾経営から拓く総合教育の道〜

3. 担当主任も舌を巻いた熱血実習生

 母親を慕いながら育った木村だが、小学校、中学校と少年時代の腕白ぶりは際立っていた。いわゆる町のガキ大将だが、一方で学級委員長を務めるなど子供の中では常にリーダー的存在であったようだ。そんな木村が英語の楽しさに開眼するのは中学1年の時。ほめ上手な英語教師と出会ったのがきっかけである。初めはまったく自信のなかった英語の授業。木村は先生に当てられ、みんなの前でこわごわと英語を発声する。すると、
「Very Very Good!」
と驚くほど誉めちぎられた。木村は気を良くして、その後も英語だけは手を抜くことなく、勉強に励んだ。高校時代には父親が国鉄を定年退職したのを機に大阪に転居。そして、昭和40年に京都外国語大学・英米語学科に進学、入学当初はあまり学校にも行かず、遊興三昧の日々を過ごした。

 木村が大きく変わるのは大学3回生の時に経験した大失恋である。それまで夜ごと繁華街に繰り出していた木村は失恋とともに遊びの底の浅さを痛感し、今度は一転して猛勉強に励むようになったのだ。ひとたび「これ」と思ったら妥協せずに突き進むのが、木村である。英語漬けの毎日を送る木村は机上での勉強だけではあきたらず、京都の街で外国人を見つけては声をかけ、英会話のトレーニングに励んだ。目指すは「商社マンか英語教師」。木村の夢は大きく膨らむ。

 大学4回生の時、早くも木村は英語指導の楽しさを肌で感じることになる。教育実習で訪れた中学校で、木村は生徒達に兄貴のように慕われ、保護者からは感謝のメッセージまでもらう歓待を受けたのだ。

 「毎年、多くの教育実習生が訪れるが、木村先生ほど熱心な先生は見たことがない」。当時、担当主任として木村を指導した先生も木村の情熱には舌を巻いた。木村の生徒受けは絶大だった。実習期間中、日曜日だというのに木村の家には20人ほどの生徒が押しかけることもあったという。
ところが、そうした情熱指導が生徒の心に響けば響くほど、木村は熱意の感じられない教育現場に不満を募らせた。終業のベルを待ち受けたようにサッサと帰宅する教師たち。職員会議では、生徒そっちのけの勝手な議論や自己主張が飛び交う。当時は「三ト教師」と呼ばれ、アルバイト、リベート、プレゼントと揶揄されるほど先生の荒廃ぶりは際立っていた。また、労働運動が大きな力を持っていた時代だけに、校長や教頭先生もそんな教師たちに気をつかうので精一杯だったのだ。

 「こんな先生たちに教えられる生徒はたまったもんじゃない」。
この時に見た学校の荒廃した光景が、後に木村の独立心に火をつけることになる。

   
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