商いは楽しむ心なり 〜常識破る鋼管加工サービスの躍進〜
7. 鋼管リサイクル業の誕生
メーカー取引への道が開けたのは、大学を卒業してから5、6年後の大学同窓会。たまたま出会った先輩が中堅鋼管メーカーである柏原パイプの社長だったのだ。宮脇は事情を説明し、発生管を売ってくれるように頼み込んだ。
その結果、「オーケー」との返事。話はそれまでの苦労が嘘のように早くまとまった。宮脇は早速、メーカーとの取引を始め、鉄屑業者より高い値をつけて、全て現金で買い取るようにした。そして、買い取った発生管は、需要家のニーズに応じて1本1本切断加工を行って販売したのだ。
この商売は、当時、長いままの鋼管を仕入れ、手間をかけて切断業者に寸法切りをしてもらっていたユーザーたちに好感を持って受け入れられた。何より、1級品より安く、すぐに使える状態にして売ってくれるのである。
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本社工場の開所式 |
宮脇のパイプは飛ぶように売れた。そのうち店に並べているだけでは在庫がどんどん溜まってしまうことに気づいた宮脇は、今度は大手商社やパイプ問屋に営業をかけるようになった。
「寸法切りの注文があったら、当社に声をかけてください。他でやるより安く販売します」。
そう言って、片っ端から営業をかけたのである。
やがて、大手商社の日商岩井から大口の注文が入った。建築の足場に使う足場管の注文だった。宮脇はこの商売に確かな手ごたえを感じ、水を得た魚のように走り回った。
また、噂を聞きつけた他のメーカーとの取引も次々に始まった。宮脇の商売が見事に軌道に乗ったのである。
昭和36年、宮脇はついに日本で初めて鋼管リサイクル業を行う宮脇鋼管を設立するに至る。そして、「選別」「切断」「即納」をキャッチフレーズに掲げ、「ユーザーがパイプを必要とする時に必要なサイズを必要な量だけ法切り加工する」というトヨタ自動車のカンバン方式ばりの流通システムを確立するようになる。
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