〜情報処理産業の水先案内人〜
大学卒業後、1部上場のベアリングメーカーに入社。電算機部門の責任者として早い時代からコンピュータ業務に携わる。昭和47年に会社を退社、自ら設立構想を練った北大阪計算センター(現・ナビオコンピュータ)の再建を任される。社長就任後は人間主義に根ざした社員教育と卓越した経営管理能力で業容を拡大し、情報処理産業の草分け的存在に。2003年にはプログラマーを養成する「未来塾」を開設。人類あるところにコンピュータは必ず存在するとして、「企業経営1000年の哲理」を説く。
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