ミラクルメーカー 〜リピート率・紹介率8割の旅行会社〜
6. お客を感動させよう
昭和54年4月、ジャパンスタディツアーズ(ジェイエスティの前身)はオープンした。社名は
「旅は学びの原点」という西の信念から、とったものだ。
西は、毎朝、大学の正門前でチラシを配り、昼からオフィスでお客を待った。
チラシを見た学生が1人、2人とオフィスを訪れる。歳が近かったせいか、お客というよりも、弟か後輩のように思えた。
「メキシコのティファナはすごくいいよ。町はずれの丘に登れば、一目で国境線が見渡せるから」
「ホームビジットって言って、旅人を自分の家に泊めてくれるシステムがあるから。留学にあきたら、1ヶ月くらい旅したら?」
西は、彼らとどこまでも話し合った。目指すは「旅のホームドクター」だった。かかりつけの医者がいるように、人生の折々で海外旅行が必要になったとき、常に最適なアドバイスをするところでありたい、そんな思いがあった。
「西さんたちは、別に何か仕事を持っていて、趣味でこんなこと(旅行業)をしているんだと思っていました」
創業時のお客は、当時の西たちのことをこう話している。
最初の月のお客は、17人だった。採算の見通しは立たず、オフィスの賃料が重くのしかかった。
そんな中でも、西は時間さえあれば、学生を集めてイベントを催していた。ボーリング大会、テニス大会、キャンプ、フリーマーケット、様々な企画で学生を集めた。
すると、イベントで知り合った学生たちがオフィスに訪れるようになった。彼らは、必ず友人を誘って次のイベントに参加してくれた。そして、その友人がまたオフィスに来た。
「あそこへ行けば、海外の面白い話が聞ける」
いつしか13坪のオフィスが、好奇心旺盛な学生たちのたまり場になった。みんな、肩をすりよせるようにして、旅や留学の話しをしている。まるで、サークルかクラブの部室のようだった。
彼らは、次々と外国へと旅立って行った。やがて各国から、西宛てのエアメールが、毎日のように届くようになる。
数年後には、お客だった学生が、ジェイエスティに入社するためにオフィスを訪れるようになった。旅行と外国が好きでたまらない強力なスタッフが、自然と集まってきたのだ。
彼らは、かつて西がしたように、お客たちと何時間でも楽しげに話していた。目の前のお客に感動感激を与えるという西の創業時の精神は、確実に若いスタッフへと伝わっている。
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