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企業家・大内邦春・株式会社オーエムエムジー代表取締役社長

出会いを創造する 〜結婚情報サービスが拓く結婚新時代〜

1. 父に憧れた少年時代

  大内邦春は昭和 28 年、大阪府茨木市で生まれた。幼い頃は喘息ぎみだったこともあり、あまり外に出て遊ぶこともなく、いつも両親や親戚、近所の大人たちの輪の中にいるような子供だった。一部上場企業の日立マクセルに勤めていた父・豊春は、そんなわが子を優しいまなざしで見守っていた。

  「健康でさえあればいい」。

  それが、父・豊春の教育方針だった。わが子の勉強や学校の成績には、口うるさく言わない。その後の中学、高校、大学の進路についても、一度も口を出すことなく、邦春を伸び伸びと育てた。

中学時代の大内邦春

 小学校の時には、「野球をやりたい」と言う邦春に、野球道具を揃えて応援した。野球を始めると、それまでの病弱な少年の面影は一変する。毎日のように友達と外で遊ぶようになり、家に帰ってくるのは、いつも日が暮れてから。中学時代には、野球部でキャプテンも務め、学校の成績も上がった。中学2年の時には、仲の良かった各運動部のキャプテンらに推され、生徒会長も務めた。スポーツにも勉強にも積極的で、活発的だった彼らは、職員室の先生たちから「君たちの学年で、学校の雰囲気が変わった」と賞賛された。

 そんな活発な少年時代、邦春は大企業で管理職を勤める父の後姿をよく覚えている。

 ―将来は、自分も父のように、人から慕われる大人になりたい。

 いつしか邦春少年の心には、父への尊敬の念が宿っていた。

 父への憧れからなのか、邦春は小学校の卒業文集で、将来の夢に「外交官」と書いた。同級生たちが、「大工さん」「パイロット」「プロ野球選手」と書く中で、さすがにこれには担任の先生も目を丸くした。

 「大内くんは、外交官がどんな仕事をするのか、知ってるの?」。

 先生が聞くと、邦春は「飛行機で外国に行ったりして、働く仕事でしょ」と答えた。飛行機で世界中を飛び回り、偉い人たちと会って仕事をする。少年の中では、それが、多くの人から慕われる父の姿と重なっていたのだ。

 「それなら、しっかり勉強して、東大にでも入らないといけないね」。

  先生は、少年の芽を摘むことなく、優しく応援してくれた。
 
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