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2. 夢は、エリートビジネスマン
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アメフトの名門校で活躍(背番号80) |
中学時代、野球少年だった邦春は、アメリカンフットボールの名門・関西学院高等部に入学。アメフトに打ち込むようになる。当時、「大学での全国制覇」を目的としたエリート世代の育成を掲げていた同部にスカウトされたのがきっかけだったが、ここで邦春は持ち前の運動神経の良さを、いかんなく発揮する。チーム内では俊足を生かしてワイドレシーバのポジションを勝ち取り、全国制覇の一翼を担った。邦春らの世代は、高校3年間を通して、「負け知らず」の勲章を欲しいままにした。大学時代こそ、腰を痛めて戦列を離れざるを得なくなったが、小・中・高・大学と、邦春はスポーツを通して、強靭な体力と何ものにもくじけない強い精神力を養った。
大学生活は、それまでとは打って変わって、好きなクルマとそれにかける小遣い稼ぎであるアルバイトに明け暮れた。京都の旅館でのアルバイトや百貨店の配送、一時期は飲食店のオーナーに任され喫茶店の切り盛りまでした。そんな自らの趣味とアルバイトに精を出す生活の先には、これから出て行くだろう社会が大きな口を開けて待っていた。邦春は当時、流行していた糸山栄太郎氏の本などにも興味を示し、次第に自分の進むべき進路を意識し始めていた。
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高校時代 |
その邦春が思い描く進路は、ずっと憧れを抱いてきたエリートビジネスマンの世界だった。
「スマートでリッチで、人から尊敬される。そして、何より自分自身が誇りを持って生きられる最も憧れる世界」。
それが、邦春が考えるエリートビジネスマンの姿だった。そこには、少年時代の記憶に鮮明に残っている父・豊春の面影もあっただろう。
大学を卒業して、就職したのは一部上場企業である同和火災海上(現・ニッセイ同和損害保険)。「営業マンとしてキャリアを積み、人の上に立ち、 40 代で取締役になる」。 邦春の将来の目標は、明確に定まっていた。 |