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企業家・大内邦春・株式会社オーエムエムジー代表取締役社長

出会いを創造する 〜結婚情報サービスが拓く結婚新時代〜

オーエムエムジー創業物語(大内豊春・潟Iーエムエムジー創業者)

3. 立ちはだかった“偏見”という壁

 結婚情報サービス業は独身の男女を会員組織して、コンピュータによるデータマッチングで出会いの場を提供するシステムである。入会金や登録料、月会費などは、すべて一括前払い。OMMGの場合、当時で 23 万円かかる。この高額な利用料は、前述したように一部の人には、懐疑的に受け止められることも多かった。

 また、会員が希望にかなう相手を見つけるためには、男女合わせて最低2万人の会員が必要であり、その膨大な数の会員獲得にはマスメディアを通じた広告宣伝が欠かせなかった。

 だが、このビジネスの命脈とも言える広告宣伝が、大きな壁として大内の前に立ちはだかる。創業当時、まだ社会的にも認知されていなかったため、全国紙や発行部数の多い雑誌から広告掲載をことごとく拒絶されたのだ。

会社草創期のオーエムエムジー

 大内は、人脈を頼って、リーフレットを無料で会社に置いてもらったり、頼まれた講演会でPRしたり、タウン誌に細々と会員募集広告を載せるところから始めた。広告掲載が難しい時は、「利根大三郎」というペンネームで、日本人の結婚観や歴史、風俗などをもとに自ら文章を書き、ニュービジネス紹介の記事風に仕上げて掲載にこぎつけたこともあった。大内は、戦前に新聞社の短編小説のコンクールで1位を受賞した経験を持ち、文章の腕には覚えがあった。当時は、まだ事務職を含めても従業員は5〜6人程度。大内は、会員のアドバイスからマッチング、宣伝まで、一人で二役も三役もこなす奮闘ぶりを見せる。

 「結婚情報サービスというものを、一人でも多くの人に知ってもらいたい」。

 その一心から、ハードスケジュールにもかかわらず、週1〜2本の原稿執筆にも決して同じ原稿を使うことなく、毎回書き直して出稿したのだった。

 地方紙や全国紙のチラシ、雑誌の地域限定広告…。

 地道な活動の末に、やがて一部全国紙の広告掲載が可能となる。そして、全国紙5紙に広告掲載ができるようになったのは、会社設立から実に4年の歳月が過ぎていた。

 また、昭和 57 年からは、鹿児島・東京支社の開設を皮切りに、地方支社の開設ラッシュとなる。大内は、年間 10 箇所という猛烈な勢いで、矢継ぎ早に支社を開設。開設時には、地方紙のテレビ・ラジオ欄に毎月定期的に広告を掲載する一方、他社が代理店方式を採用するのに対して、直営方式に徹底的にこだわった。

 「結婚は、地方ほど結婚事情が深刻だから、きめの細かい対応が必要」との信念からだった。

 こうしたOMMGを急成長させる原動力となった支社開設については、こんなエピソードがある。

 大内は、支社開設の記念式には、必ず自ら訪れた。ある時、現地スタッフに声をかけると、「雑巾をもってらっしゃい」と言った。そして、雑巾で自ら支社の窓を拭いて、お客を迎えるのだった。

 創業から5年後の昭和 60 年、大内が社員とともに一つひとつゼロからつくり上げてきたOMMGは、実に全国に 30 支社、会員3万人を数えるまでに成長していた。
 
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