“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜
プロローグ
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タクシー業界に近代経営の礎を築いた多田清 |
日本のタクシーは、「世界一」と言われる。運転手の接客
態度や運転マナーの良さ。タクシーの外観には一点の汚れもなく、車内には真っ白なシーツが敷かれ、乗り心地は快適そのもの。世界で最も安全で快適に乗ることができるのが、日本のタクシーである。だが、誰もがごく当たり前に考えている安全で快適なタクシーは、最初からあったのではない。現在のタクシーが成立するまでには、タクシー経営の近代化や運転手の地位向上といった多くの苦難と闘いの歴史があった。その立役者の一人が、まぎれもない相互タクシー創業者の多田清である。
物心ついた頃から、明日の生活もままならないドン底生活を経験していた清は、 20 代の若さでタクシー業界に身を投じ、一運転手からのし上がって、晩年には業界で“多田天皇”と呼ばれるほどの信頼と実力を兼ね備えた企業家に登りつめた。タクシー経営者が経営の一切の責任を追う「直営制度」の導入に始まり、運転手の公休制度、営業拠点に待機して利用者の要請を受けて配車する「のり場戦略」、小型車の導入など、彼がタクシー産業に与えた影響は計り知れない。
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新しいタクシー産業を掲げる多田精一 |
だが、かつて清が夢見た安全で気持ちよく乗れる「世界一のタクシー」は今、規制緩和・自由化の嵐の中で激しい値下げ競争の渦中にある。タクシーサービスの二極化(品質重視と価格重視)が進む自由化時代に、清と同様、 20 代の若さでタクシー経営に身を投じた多田精一は、再び「安全と品質の向上こそ、真のサービス」と位置づけ、日本一のタクシーを目指して、新しいニーズを開拓しながら新ビジネスを生み出そうとしている。 これは、タクシー業界に近代経営の礎を築いた多田清と、現在のタクシー自由化時代に、「おもてなし」の精神で新たな乗客層を果敢に開拓しようとする多田精一という、親子二代にわたるタクシー革命の物語である。
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