“安全”を開発せよ! 〜世界初、夢のナット開発に賭ける〜
3.運命変えた「Uナット」
大学卒業後、商品開発への夢を抱く若林は、バルブメーカーに就職。設計技師としての道を歩み、そこで設計技術のイロハを学ぶ。製図を書き、時に新製品も開発する日々は、若林に刺激を与えたが、一方で毎年わずかしか期待できない昇給と 50 歳そこそこまでしか一線で活躍できないサラリーマンという世界に、限界も感じていた。
そんなサラリーマン生活が5年を過ぎた頃、若林の人生を変える転機が訪れる。
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バルブメーカー時代の同僚と
(上段、右から5番目) |
その日、若林は大阪市内で開催された国際見本市を訪れていた。世界中から新商品が集まる展示会場で、若林は開発の参考になるサンプル品や参考資料を手に取り、自宅に持ち帰って、それらの商品を何気なく眺めていた。
その時、とりわけ若林の目を惹く商品があった。ステンレス製の針金を留め金にして、ナットが緩むのを防ぐ「戻り止めナット」。その商品は、複雑な構造になっており、製作にかかるコストも高かった。
「面白い。これを、もっと簡単で安いものにできゃせんか」。
若林の発明の“ムシ”が、動き始めた。
若林は、ナットを手にとって、じっと眺める。そして、即座に製品の構造と仕組みを理解すると、値段の高いステンレスの針金の代わりに、板バネを付けてボルトのネジ山を挟みつける方法を思いついた。簡単な設計図を書き、1時間ほどで応用開発商品を作る手応えを感じることができた。
翌日、板バネの形を試行錯誤しながら実作に入ると、思った通り、板バネはしっかりとナットのねじ山を挟みつけ、緩み止めの効果を発揮した。若林は、この商品に「 U ナット」という商品名をつけると、すぐさま特許を出願。時間をおかずして、早速、めぼしい企業を回って、商品の権利の売り込みを始めた。
ところが、結果は散々。企業担当者は、既存商品の価値観で、「あそこがダメ」「ここがダメ」と指摘し、全く取り合ってくれない。自ら考え出した商品に、絶対の自信を持っていた若林は、「それなら、自分で売ってやる」と考えた。そして、6年勤めた会社を退社すると、全精力を傾けて「 U ナット」をマーケットに売り込む決意をする。
「U ナット」の製造・販売の準備には1年を要したが、昭和 37 年、若林は実弟と特許専門家の3人で、「 U ナット」の製造販売をスタートする。
若林、弱冠 28 歳。期待と不安の入り混じる、複雑な気持ちでの船出だった。
それは、商品をマーケットに売り込むための資金も人脈もなければ、明確な裏づけすらない、ただ自分のアイデアひとつを信じるしかない、長くて厳しい苦難の始まりであった。 |