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企業家・若林克彦・ハードロック工業株式会社代表取締役社長

“安全”を開発せよ! 〜世界初、夢のナット開発に賭ける〜

4.退路なき闘い

 全く知名度のない新しい商品を、いかにマーケットに売り込むか。若林が、最初に考えたのは、ねじ問屋へのアプローチだった。豊富な流通ルートを持つ問屋に認めてもらえれば、あとは一気に売れるに違いない。そう考えたのだ。

 だが、商品説明のチラシとサンプルを持って訪れた先で、若林を待っていたのは厳しい現実だった。

 「こんなもん、使えるか!」「こんなオモチャみたいなやつ、よう売らんわ!」。

 購買担当者の言葉に、さすがの若林も意気消沈した。最後には、「顔を洗い直して、出なおして来い」と言われる始末。若林はショックを受け、悔しさで頭がいっぱになった。だが、今さら古巣の会社に戻るわけにはいかない。退路を絶った今、前に進む以外に選択肢はないのだ。

「創業時の苦労は、若いからこそできる」と若林

 次に訪れた問屋でも、対応は同じようなものだった。それでも、必死の思いで食い下がると、今度は「それやったら、とりあえずそこの陳列ケースにサンプルを置いていき。興味があれば、誰か持って帰るやろう」と言ってもらえた。九死に一生を得た思いだった。若林は、既製品など、問屋が扱っている様々な商品が並べられている陳列ケースに、チラシとサンプルを置いて、会社を後にした。

 1ヶ月後、その問屋を訪れると、チラシとサンプルの数がわずかに減っている。「誰かが興味を示して持ち帰ったのだ!」。嬉しくなって、担当者に「反応は、どうですか ? 」と聞くと、また「反応なんか、あるかいな」とそっけなく返される。実際、ユーザーが「 U ナット」を使用したとしても、製品の安全性や便利さを確認して、注文が来るようになるまでには、少なくとも3ヶ月以上、長ければ半年以上待たなければいけないのだ。その間、収入源のない若林たちは、心待ちにお客の反応を待つ意外に手立てはない。また、肝心の問屋は、新製品の良さを見抜くだけの知識に乏しく、何より即座に売り上げに反映しない新製品の販売には及び腰だということも分かってきた。

 結局、若林は1年を待たずして問屋に見切りをつけると、直接ユーザーに売り込む営業戦略に切り替える。そして、機械メーカーなどのユーザー回りでは、思い切って300〜500個のサンプルが入った小箱を無料で配り、実際に使用してもらう作戦に出た。

 「ナットが足りなくなったら、これで補充してください」。

 さすがに無料配布は、ユーザーの受けもいい。配布した小箱が空になると、また新しい小箱を配布する。だが、いざ購入を迫ると、「値段が高すぎる」と言われ、ユーザーによっては「ナットが緩めば締め直せばいいんだから、緩み止めナットなんか必要ない」という者さえいた。

 だが、1年もの間、無料でサンプルを配り続けると、「1箱、売ってくれ」というユーザーが出始めた。そのうち2件目、3件目と散発的に、注文量はわずかずつだが、販売数量が伸び始めた。それでも毎月の業績は赤字のまま。来る日も来る日も、地道にいくら売り続けても黒字にはならない。「一体、いつになったら儲かるようになるのか?」。「ひょっとしたらこの商品では、ダメなのではないか?もう一度、開発するところから一からやり直した方がいいのではないか?」。そんな疑問が若林の頭をかすめたのは、一度や二度ではない。

 若林は、もう 30 歳の大台に乗ろうとしていた。一向に結婚する気配のない若林を見かね、両親や隣近所の知人からは、いくつもお見合いの話が持ち込まれた。だが、会社をスタートさせてからは、設備投資などの支払いでいつも頭がいっぱい。しかも、最初の3年間は、朝から晩まで走り回っても、自らは無給で凌ぐしかない。結婚など、考えられようはずもなかった。

 後退は、できない。かといって、前進しても、歩みは牛歩のごとく遅々として展望は開けない。若林にとっては、商品を使ってくれて、「これは、ええなぁ」と言ってくれるわずかなお客さんの声だけが唯一の励みだった。褒められるたびに、若林は「これは、いけるんや。この商品で間違いないはずや」と自らを奮い立たせた。
   
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