メガネはアイデア産業 〜小売りから仕掛けるメガネ革命〜
7. 土壇場でひらめいた奇策
順調に成長を続けていたビジョンメガネは90年代に入って、大きな壁に突き当たる。「売上高50億円突破」という壁である。バブル経済が崩壊し、空前の好景気が泡沫のごとくしぼみ始めると、それまで飛ぶ鳥を落とす勢いだったビジョンメガネの成長は急速に足踏みし始める。売上げが伸び悩むと、多額の借り入れによって支えられていた屋台骨が揺らぎ始めた。
「今考えるとゾッとするんですが、当時、売上金と借入金の額がちょうど同じ50億円になっていた。かろうじて潰れなかったのは、父の教えを守って手形を切っていなかったから」。吉田は当時をそう振り返る。
景気の後退が鮮明になって、それまで頼りにしていた銀行も締め付けが厳しくなった。吉田はメーンバンクにかけ合った。
「50億円の借金を全て返すことはできないが、せめて返した分をもう一度、目をつぶって貸してほしい。その借り入れで凌ぐ間に、必ず売上げを伸ばす体制を作りあげる」。
しかし、支店長は首をなかなか縦に振らない。さすがに、今度ばかりは吉田の神通力も通用しなかった。50億円の借金と、その利息の返済が吉田の肩に重くのしかかった。
青色吐息のビジョンメガネを見かねて、国内の大手メーカーからは買収の打診も転がり込んだ。吉田はいっそのこと体力のあるうちに売却してしまった方がいいかもしれないとも考えた。80億円で売却できれば、50億円で借金を返し、20億円で従業員の退職金も払える。
「残った10億円でもう1度、事業をいちから始めることだってできる」。
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しかし、吉田がどうしても引っかかったのはパート含めた約200人の従業員の将来であった。吉田はどうすればいいのか、分からなくなっていた。
そして、迷走する吉田はある時、日本の金融をリードする大手銀行を訪れる。信用金庫でさえ貸し付けを渋る時世で、融資を受けるなど難しいと思われたが、吉田はメガネの魅力をこれまでにないほど懸命に企画書に書いた。
だが、大手銀行の審査は思った以上に厳しかった。
「これは、アカン」。
審査中に即座に判断した吉田は開き直って、ある奇策に出た。
吉田は話をガラリと変えると、担当者に「ところで、大学はどこを出てはるんですか」と聞いた。担当者は東京大学と答え、行員には東大出身が大勢いると教えた。
吉田は続けた。
「そんなに頭のいい人が揃っているのに、どうして料亭のおばちゃんに何千億円も貸してしもうたんですかね」。
“料亭のおばちゃん”とは、当時、前代未聞の金融詐欺で世間を騒がせた大阪の料亭女将のことである。
「あんな人に貸して損するんやったら、真面目なメガネ屋に貸してくれた方がよっぽどいいとちゃいますか」。
吉田の思い切った言葉に担当者は相好を崩した。
この会話が効を奏したのか、担当者は吉田のフランクな性格とメガネに対する熱意に負け、融資を決意。吉田は土壇場のところで興銀から無担保で3億円の融資を受けることができたのだった。
当面の資金繰りにはメドがついた。あとは、足踏みする売上げをどう伸ばすか。吉田は先の見えない時代の中で、孤軍奮闘する。
そんな時、あの阪神大震災が起きた。
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