メガネはアイデア産業 〜小売りから仕掛けるメガネ革命〜
8. 被災地・神戸を救え!
1995年1月17日、吉田は神戸の被災地に立っていた。震災による地域店舗の被災状況を見に、オートバイで駆けつけたのだ。幸い、店舗は大きな被害を免れていたが、電気も水もない状態。店を開くのは困難と思われた。
しかし、いち早く被災地に立った吉田はあることに気がつく。被災者にとって何よりも必要なのは水である。水が飲めるようになると、今度は温かいお茶が欲しくなる。その次は温かい食べ物。衣食住がどうにか確保できるようになったら、新聞が読みたくなり、その時、メガネが必要になるー。
そう考えた吉田は早速、200メートルほどの電線を購入してくると、保安用の電気を引っ張ってきて三宮店を開店。そこで、老眼鏡を無料で配り始めた。さらに、検眼するための医師を同行して被災者が避難している集会所を回り、合計1万本の老眼鏡を配布して回ったのだ。
吉田の奉仕活動は被災した神戸の人々に好感もって受け入れられた。さらにNHKなど各テレビ局が取材に訪れ、一気にビジョンメガネの名は全国に知れ渡った。
「こんなに喜んでもらえるなら、開店できる店は全て開けよう」。
吉田は他のメガネ屋が閉店している中、神戸の16店舗全てを開店した。そのうち「無料ではなく、メガネを安く分けてくれ」との声が上がり始めた。このため、今度はメーカーの協力を得て、ブランド物メガネを半額で販売。小・中・高校生には無料でレンズを提供した。格安メガネはたちまち売り切れ、吉田は製品補充のため、中継地である甲子園まで自らオートバイで通い続けた。また、当時、吉田は3人の水汲み要員を確保してトイレの使用も提供していたため、店は午後8時、9時までお客でいっぱいになった。
被災地での思わぬ活況が寄与したのか、その年ビジョンメガネは前年比50%増の74億円の売上げを計上。長い間、突破できなかった50億円の壁を一気に超えた。また、利益も8億円を上げ、当時直面していた危機を見事に乗り切ることができたのだった。
吉田はこの時の経験をある講演で、こう述懐している。
「老眼鏡を無料で提供したり、メガネを安くしたり、初めは私たちの方が奉仕したつもりだったが、反対にお客様に助けてもらう結果になった。『情は人の為ならず』と言いますが、この時は本当にその通りだと思いました」。 |