メガネはアイデア産業 〜小売りから仕掛けるメガネ革命〜
9. メガネのユニクロ商法
阪神大震災を契機に経営危機を乗り切ったビジョンメガネは、その後、年商100億円を超え、大手メガネ小売業の仲間入りをする。1999年以降はメガネ小売り業界で初めて品質の国際規格ISO9002、環境の国際規格ISO14001を相次いで取得。そして、ついには株式の店頭公開も果たす。
ところが、公開後の初決算で、ビジョンメガネは創業から22年目にして初めて赤字になる。デフレの時代になったのに販売単価にこだわったことが、経営不振の直接の要因だった。
吉田は証券会社や銀行にあやまりに回りながら、猛烈に反省した。そして、大きな方向転換をすばやく決断すると、半年前から視察に訪れていた中国に飛んだ。狙いは、中国でのメガネ生産である。吉田は広い中国を飛び回り、行く先々で情報収集しながらビジョンメガネの品質に合ったメガネを生産できる工場を探した。
驚かされたのは、その工場規模とサンプル製作のスピードである。日本では、100人の工員がいれば大工場とされるが、中国では1工場で3000人の工員が働く工場がある。サンプルの製作を頼めば、2〜3日で出来上がってしまう。少なくとも1カ月はかかってしまう日本とは大きな違いであった。
吉田は早々と商談を成立させると、素材から製作工程、品質まで徹底的にこだわり、自ら指導を行って生産を開始。レンズは国産のものを使った。
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MAX-Aの外観 |
この中国生産のメガネは「MAX−A(マックスエー)」という新しい店舗展開で売り出され、瞬く間に軌道に乗った。販売価格はレンズ込みで、5000円、7000円、9000円の3プライスに統一。主に18〜35歳までの若者をターゲットに、求められない限り接客をしないという販売姿勢を徹底して顧客の心をつかんだ。1カ月後には、ビジョンメガネ全店でもマックスーAの商品を販売。良い品物をより安くするその商法は「メガネのユニクロ商法」と呼ばれた。
翌年、ビジョンメガネは業績を見事に回復させ、黒字に転換する。
「初の赤字を出したのは創業の精神を忘れ、いつしかカッコ良くやろうと思い始めていたのが原因やった」。
そして、吉田は失敗を素直に反省し、臨機応変に戦略を変えることの重要性を再認識した。
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