“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜
第一部 多田清(相互タクシー株式会社 創業者)
2. 商売は天の利、地の利
雑穀問屋の丁稚として働き始めた清は、早朝5時半に起床。そこから店を開いて、店回りの掃除を行い、朝食を摂り終わると、今度は大八車にモチ米や小豆を積んで得意先に配達するという忙しい毎日を送る。生来、仕事熱心なだけに、ほどなくして番頭の代理として得意先のセールスも任されるようになり、行く先々で「働き者」として評判も立つようになった。
そんなある時、得意先だった餅菓子屋の店主から、清は思いがけない申し出を受ける。
「あんた、この店をやってみる気はないかね。あんたは若いが、なかなかのしっかり者だから引き受けてくれないか」。
清ははじめ逡巡した。だが、自分に自信がないわけではない。それに、店は小さくても一国一城の主(あるじ)は魅力的だ。
「多少の不安はあるが、店はやり方次第でどうにでもなる」。
そう意気込んで、清は店主の申し出を引き受けた。話を聞いた両親も餅づくりに加わり、一家総出の菓子屋がスタート。かくして 18 歳の店主が誕生した。
ところが、清にとって、餅づくりはおろか、商売さえも始めての経験。そう簡単に商売が軌道に乗るはずもなく、店の経営は苦難の連続だった。なかでも同じ町にある同業者の繁盛ぶりは、清の店に多大な影響を与えた。清はライバル心を燃やし、饅頭を大きくして売り出したものの、お客が増えれば、今度は店の経営が赤字を強いられるという悪循環。
「ライバルの饅頭とウチの饅頭は、何が違うのか?」。
清はライバルの饅頭を買ってきては、徹底的に分析した。そして、繁盛しているライバル店との違いは饅頭にあるのではなく、店そのものにあると気づいた。
ライバルの店はもともと目立つ場所にあるうえ、店は北向き。自分の店は南向きで、飾り棚にカンカン日が当たると、饅頭が腐ってしまうので、仕方なく日除けをかけている。その日除けのおかげで、自慢の商品がお客に見えにくくなっていたのだ。
清はさまざまなアイデアで店を繁盛させようとしたが、結局、店は閉店せざるを得なかった。だが、1年半という短い経験で、「饅頭に限らず、どんな商売でも地の利を得なければ成功しない」という教訓を痛いほど実感した。
そして、この若くして経験した失敗が、後のタクシー経営でも生かされ、理想的な集客場にのり場を設けて配車する、戦後のタクシー経営のモデルとなる「のりば戦略」へとつながっていくのである。 |