“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜
第一部 多田清(相互タクシー株式会社 創業者)
4. 運転手による運転手による経営
昭和6年11月6日、清ら 28 名のタクシー運転手たちは、後に近代タクシー経営の一翼を担うことになる相互タクシーの前身「相互共済購買組合」を立ち上げた。この新生相互の旗揚げは、当時のタクシー業界にあって、スタート時点から異例ずくめだった。
というのも、当時のタクシー業界では、前述の通り経営者が車両を1台も持たずに営
業認可を得て、営業権を運転手に名義貸しする、いわゆる「名義貸制度」の会社が多かった。そのため、経営者とタクシー運転手との間には争いが絶えなかった。
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東洋一と言われた大ガレージ |
そんな中にあって、相互共済購買組合はその名が示す通り、会社は同志的に集まった運転手たちが出資しあう共済組合。車両はもちろんガソリン、タイヤ、自動車修理に至るまですべてを共同購入するうえ、経営者が経営に関する責任の一切を負う「直営方式」を導入したのだった。さらに、経営方針には「運転手の生活安定」「利益はすべて運転手へ」というスローガンを掲げ、会社の利益を労使で折半するという画期的な経営手法が取り入れられた。この「相互共済購買組合」の誕生は、当時、名義貸制度の廃止に傾いていた行政当局に多くの示唆を与えたと言われる。
設立当時の清の言葉にも、新しいタクシー会社を創造する意欲と情熱が感じられる。
―事故が起きるのは、運転手の手による。資本である自動車が1年の寿命で終わるのも、3年の寿命を保つのも運転手の操縦の仕方による。さらに、消耗費が減少するのも、増大するのも、乗客の信用を得るのも、すべては運転手の言動次第。つまり、経営を生かすも殺すも、すべては運転手である―
清は会社立ち上げ当初、早朝6時に出社し、夜は12時まで寝食を忘れて懸命に働いた。しかも、自分自身はほぼ無報酬の状態にもかかわらず、日曜、祭日の休みもとらなかった。経営に際しては、不足していた乗務員を広く募り、新車購入を計画。車両の購入には頭金を払っての月賦払いを活用し、組合員の稼ぎと新車購入の支払いを緻密に計算しながら毎月1〜2台づつ車両を増やし、拡大路線を敷いた。その結果、組合スタート時には 16 台しかなかった車両が、3年後には 70 台にまで増加した。
また、運転手の生活安定を経営方針に掲げた相互タクシーは、タクシー業界で初めて公休制を導入し、それまで業界が全く手をつけなかった従業員の福利厚生面にも革命的な進化をもたらした。
そして、創業から5年後の昭和 11 年には、大阪・関目の地に3000坪の土地を購入し、車両百台を駐車できる大規模な車庫と従業員が居住できる社宅を建設して、“一大タクシー村”をつくり上げたのだ。そうした手厚い従業員の保護と家族主義的経営もまた、清の豊富なアイデアの産物である。運転手たちは家族総出でお客に対応するという思想のもと、自ら車両や資材などの手入れを行い、修理も自分たちで手がけた。そうすることで、他社が1〜2年で新車を買い換える時代に、相互タクシーは4〜5年もの長い間、車両を走らせることができた。 |