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企業家・多田精一・相互タクシー株式会社会長

“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜

第一部 多田清(相互タクシー株式会社 創業者)

9. 人生借金返済論

 「私が今日あるのは、あらゆる人達に有形無形の迷惑をかけ、そういう意味での借金をしてきたからだ。残された人生で、これらの借金を返してしまわなければ、人間としての価値はない」。

 戦前に一タクシー運転手から起業し、一代で大阪を代表する一大タクシーグループを築き上げた清は、晩年、上記のように述べて、「人生借金返済論」をしきりに説くようになる。

 そして、その言葉通り、「社会に対する当然の恩返し」として数え切れないほどの寄付行為や慈善事業を重ねるが、その最後の仕上げとして構想したのが、父祖が眠る生まれ故郷に大仏を建立する事業だった。

最後の事業となった「越前大仏」で

 清は、本社の敷地内のガレージを大仏工場に改造して、自ら大仏殿の設計や付属品の試作に取り組んだ。そして、実際に工事が始まると、天候に構わず1週間に一度は現場を訪れ、細部まで自分の目で確かめ、工事業者に厳しい注文を出した。決して妥協を許さないその姿勢は、多田式木炭車と炭焼き釜を独自で開発した、若き日の姿そのままだった。

 昭和 62 年、実に1857日、延べ8万485人の作業により、大仏殿と五重塔、そして中国の国宝に指定されている装飾壁を再現した九龍壁が完成し、開眼落慶法要が執り行われた。越前大仏は身の丈17b、両脇に羅漢像と菩薩像を従え、3方を1281体もの仏像に囲まれた、座像では奈良の大仏をしのぐ日本一の大きさとなった。この大仏の完成により、清は地域社会への貢献を合わせた観光事業への進出を目指そうとしたのだった。

 そんな折、清は突然、病に倒れる。病状は重く、長期の入院生活の中で、志半ばの清は事業を後継に託すことを決意する。そして、平成3年7月、ついに清は帰らぬ人となる。葬儀は、清自身が建設した大師山清大寺越前大仏で、しめやかに執り行われ、社員、取引先関係者をはじめ3000人もの人が参列。近代タクシー経営の礎を築いた偉大な功績が偲ばれた。

  そして、清が全身全霊をかけて築いた相互タクシーと、その企業家精神は一人息子の精一に受け継がれていくのである。
 
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