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企業家・多田精一・相互タクシー株式会社会長

“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜

第二部 多田精一(相互タクシー株式会社 会長)

1. 父の背中に学んだ帝王学

 多田精一は昭和 43 年、大阪市で生まれた。父親の清は、若くして丁稚奉公に出るなど苦労を重ね、一タクシー運転手から現在の近代タクシー経営の生みの親ともいうべき相互タクシーを、一代で築き上げた立志伝中の人。すでにこの頃、父・清は高齢にあったため、一人息子である精一の誕生は手塩にかけた相互タクシーグループを引き継ぐべき、待望の後継者としてこの世に生を受けた。

 そのため、小学生ぐらいになると、父・清はたびたび精一を自らの仕事場に連れて行き、自由に見学させた。タクシーの整備工場や資材課、さらには福井県勝山に建設していた大仏建立の工事現場まで。連れていけるところは、どこへでも連れて行ったようである。あえて何かを教えるわけではないが、実際の現場をできるだけ多く見せることで、幼い精一に自分の目で見て体験する大事さを覚えさせようとしたのだった。

 精一は、父・清が従えて歩く会社の重役や社員に混じって、いつも行動をともにしていた。精一は、こんなエピソードを覚えている。

 会社の重役や社員など 10 人ほどを従えて、四国の金比羅山を参った時のことである。一行は、急峻な階段を上る途中、休憩のため茶室に立ち寄った。食事の時は、いつも父・清が注文し、同行する社員たちはみな同じものを食べるのが習慣。席順も、父・清から職責の順番で座り、最後の者が全ての勘定を払って出てくることになっている。

 父・清は、カキ氷2つを注文した。食べる順番も職責順だから、最後の者は大変である。父・清が食べ終わるまでに、最後に出てきたカキ氷2つを大慌てでかきこまなければならないのだ。間に合わなければ、父・清のキツイ大目玉を食らうことになる。

「いつも周囲の大人たちが、父に対してピリピリしている感じは、子どもながらによく分かりました。しかし、外ではどんなに偉くて、厳しい人であっても、自分にとっては父親でしかありませんでしたから、そのギャップが不思議でした」。

 家ではそれほど厳しくなかった父だが、一度だけ精一に手を出したことがある。それは、中学生の時のことだった。精一は自宅で父と雑談をしながら、学校での1日の出来事や勉強で習ったばかりの知識などを話していた。すると、どうしたことか、いきなり父の拳骨が飛んできたのだ。精一は、わけが分からず唖然とした。殴られた理由も全く分からなかい。そして、「なぜ、殴られたのか」という疑問は、中学、高校、大学と成長する間もずっとわからずじまいだったのだ。

 「その時の父の気持ちは、今になってようやくわかるような気がするんです。中学生の頃というのは、だんだんと世の中の事がわかり始める時期ですから、父にはその時の私が世の中の事を分かったような顔をしているように見えたのかもしれません。『お前、世の中というのはそんな甘いもんじゃない』と言いたかったのかもしれないですね」。

 そうやって精一は、幼いころから父の帝王学を学んでいった。
 
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