“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜
第二部 多田精一(相互タクシー株式会社 会長)
2. 広い世界に憧れて
精一は、小さい頃から温厚な性格で、友人たちの輪にいても無闇に喋る方ではなかった。どちらかというと物事をじっくり考え、冷静に判断する性質で、それは父・清と共通していた。また、学校では歴史、地理といった科目が得意で、野球やサッカーなどのスポーツも一通り経験し、広い世界に憧れる少年だったようだ。
中学生になると、精一は春休みや夏休みを利用して、グループ会社が所有していた山林の植林作業や山の手入れ、見回りなどのアルバイトも手伝うようになる。
だが、思春期を迎えると、精一には人一倍強い独立心が芽生え始めた。
「確かに、タクシー事業を一代で築き上げた父は偉大な存在かもしれない。だけど、親の力を借りるのではなく、自分ひとりの力がどこまで通用するのかを試してみたい」。
精一の心の中には、そうした気持ちがふつふつと沸いていた。とりわけ、さまざまな所に行って、自分のこの目で世の中を見てみたい、という気持ちは強かった。
そして、ついに高校1年の時、精一はアルバイトで貯めたお金で、北海道への一人旅を敢行する。道中、北の大地に向かう夜行列車は、精一の気持ちを一層高まらせた。現地に着くと、好奇心の赴くままに、夏の北海道を縦横無尽に動き回る。精一の旅は、いつも決して多いとは言えない所持金で動き回る貧乏旅行。そのため、現地ではヒッチハイクをし、安宿に泊まり、同じ旅行者仲間もつくり、時には人影のない駅の待合室で寝ることもあった。一度は旅先での生活を切り詰め過ぎ、栄養失調になって病院に担ぎ込まれたことがある。だが、そんな経験も精一にとっては、「自分の力を試している」という充実感を得られるものだった。
旅は、一人の少年に大きな刺激を与えるに十分だった。そして、精一はそうした旅の経験の中から「どんな物事に対しても、疑問と好奇心を持ち続けることの大事さ」を学んだ。これは、後に精一の生涯の信念ともなる。
大学生になると、精一はさらに頻繁に旅行に出かけるようになる。ニューヨークに中国、台湾と、今度は高校時代とは打って変わって海外である。精一は、海外のさまざまな文化に触れながら見聞を広めた。もちろん家業であるタクシービジネスのことまでは考えも及ばなかったが、自分の身ひとつで体験したことは社会人になってから大いに役に立つことになる。
「海外に行くまでは、自分の住んでいる日本を客観視できなかった。しかし、世界を自分の目で見たことで、日本が世界からどう見られているかということを実感できるようになった。そこで、日本のすばらしさにも気付くことができた」。 |