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企業家・多田精一・相互タクシー株式会社会長

“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜

第二部 多田精一(相互タクシー株式会社 会長)

4. 最初の試練

 社長に就任した翌年、右も左も分からない精一に、いきなり試練が訪れる。若干21歳の大学生社長の誕生に不安を抱いた労働組合が、株主総会を見越して労働争議を起こしたのである。労働組合は、偉大な創業社長なき後、タクシー事業を柱とするグループ経営をどのように舵取りするのか、社長に就任したばかりの精一に詰め寄った。

 労組の本音は、

 「本来、世代交代するにしても、せめて5〜 10 年の引継ぎ期間は必要だ。それなのに、いきなり 21 歳の若さで社長に就任して、これほど大きな所帯を本当に運営できるのか」。ということだった。

国有林材の売り始めにも参加

 もちろん当時、大学生だった精一は、労働争議など経験したことがない。精一は、小野専務の補佐のもと、労組との交渉に入ったが、実際のところ突然の社長交代劇で会社側も組合員を納得させるだけの説明材料を持ち合わせていなかった。また、労働争議には社外の外郭団体が介入していたこともあり、会社側と労組との対立は思わぬ長丁場となってしまう。

 精一は労組の激しい団体交渉のため、まさに一睡もできないほどの日々を送る。そのうち、精神的にも追い詰められ、体に変調をきたすこともあった。精一は当時のことを、こう振り返る。

 「労働組合との交渉は大事な案件であったことは否定しません。ですが、ずっと団交をしているわけにもいかない。タクシー事業のことを何も知らずに社長になった私は、早く本来の会社経営に打ち込みたいと思っていました」。

 結局、労働争議は 11 ヶ月間に及んだ。最終的には、精一が相互タクシーの本業であるタクシー事業を柱とした経営計画を提示することで、事態は収束の方向に向かった。

 そして、この最初の厳しい試練は、若い社長に企業家として生きていく覚悟を固めさせることになるのである。

 労働争議が落着した平成3年、事態の収拾を見届けるように会長・清の病状が悪化。ついに、多田天皇と呼ばれたタクシー業界の巨人は、帰らぬ人となる。葬儀は、会長自らが建設した大師山清大寺越前大仏で、しめやかに執り行われ、社員、取引先関係者をはじめ3000人もの人が参列した。

 だが、名実ともに相互グループの命運を託された精一に、悲しんでいる余裕などなかった。本業のタクシー事業の運営、越前大仏や但馬大仏に付随する事業の再構築、さらには数十億円に上る遺産相続など、精一の目の前には取り組まなければならない問題が山積みになっていたのだ
 
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