“おもてなし”が夢を生む 〜タクシー業に賭ける親子100年の挑戦〜
第二部 多田精一(相互タクシー株式会社 会長)
5. 大転換!真のタクシーサービス
精一は、まず父が晩年に尽力した大仏建立をはじめとする観光事業の整理に手をつけると、本業のタクシー事業に力を注いだ。しかし、経営に取り組めば取り組むほど、一方で父の偉大さを感じずにはいられなかった。
「本当に、自分に亡き父に恥をかかせない経営ができるのか」。
精一は言い知れぬ重圧を感じながらも、父と自分を比べるのではなく、あくまで多田精一として若さを生かした経営を貫こうとした。
社長就任時、全くのゼロからスタートした精一には、自分なりにタクシー経営について思うところがあったのだ。というのも、社内会議や従業員との会話の中で、常に「お客を乗せてやっている」という意識を強く感じたのだ。それは、精一にとって、大きな違和感だった。
今でこそ、お客様重視の考え方は主流だが、それまではタクシー業界をはじめ運輸業全体にそのような殿様商売の感覚があった。
従業員の意識を「乗せてやっている」という固定観念から、「乗っていただく」という意識に変えるには、どうすれば良いのか。
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「変わる相互タクシー」をアピールしたペインティングカー |
精一は、社内的には明確に「お客様重視」の経営理念を掲げて啓蒙する一方、お客にはアンケートハガキを出して、運転手の接客態度や乗り心地などについて意見を聞き、お客様との距離を縮める方策に出る。
そして、平成8年の創立65周年には、「ぐっどスマイル65」を合言葉にキャンペーンを実施。この時には、一般からペインティングカーのデザインを募集し、選ばれたデザインを施したペインティングカー2台が、大阪、京都を走り、「変わる相互タクシー」を広く宣伝した。
また、経営体制の刷新にも乗り出す。それまでの相互タクシーは、企業にチケットを配り、夜の繁華街の乗り場で待機して、連絡のあったお客様を乗せるというスタイルが主流。そのため、乗務員の勤務時間は月曜から金曜までの夜間が中心で、昼間は多くのタクシーが車庫に止まったままだった。しかし、バブル経済崩壊後、主流だった夜の繁華街の利用者は減少の一途をたどり、さらに規制緩和・自由化の波も目前に迫っている。
精一は、思案した。
「これが、本当のサービスと言えるのか。タクシーの使命は、土・日や祭日、昼夜を問わず、いつでもどこでも利用できることが必要なのではないか。これからはサービスの良いタクシー会社が生き残っていくはずだ」。
ついに平成9年、精一は年頭挨拶で、「1日 24 時間、365日の稼動を確立し、利用者に選んで乗っていただけるサービスを提供してこそ、真のタクシーサービスである」と新しいタクシー産業をつくる目標を宣言。「 24 時間稼動体制」と「営業所展開」の実施を試みることになる。
精一は、まず手始めに、これまでは営業地盤ではなかった地域に平野営業所をオープン。ここに新規採用した乗務員を配置して、昼の稼動体制を敷き、GPS機能がついた最新の無線を導入して地域密着型の営業を開始した。
そして、この第1号の平野営業所が軌道に乗ると、住之江、西淀、東大阪、伏見、長岡京と相次いで営業所を開設。営業所は既存営業所を含めると 11 営業所体制になり、夜の繁華街以外のお客層を開拓していった。この「24時間稼動体制」と「営業所展開」は、相互タクシーにとっては昭和 47 年以来、 30 年ぶりの大転換となり、精一はこの思い切った政策で、バブル崩壊以降の利用者の落ち込みに歯止めをかけることに成功したのだった。 |